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人権とキリスト教#1 [人権の神学]

超重量級のテーマに首を突っ込んでしまっている。タイトルどおりキリスト教と人権を雑考しようというものである。もとより私は人権の専門家でもキリスト教倫理の専門家でもないので、その筋の方から見たら笑止千万レベルのことを書くだろう。もとよりレフェリーのついたペーパーでもなく、正規の編集者のいる出版物でもない、ただの個人的なウェブログなので、その辺は平にご容赦願いたい。これを読まれた方の中には、あるいは「お前ごときが手を出す領域じゃねえぞ」とか「身の程知らずが分を弁えよ」とか「お前はものを知らない」というふうに思われる方もおられるかもしれないが、それは腹の中にぐっとしまいこんで看過していただけるならば真に幸甚でございます。

とりあえず何のためにこれを書こうとしているのか。企ての動機を書かねばならないだろう。実は今カルト問題対策委員会として相談窓口設置の検討をしている。この件は既に今春の同盟教団総会資料に掲載されているので同盟教団関係者は既知のことだろうし、ここまでなら不特定多数の方の目に触れるブログに載せても問題はないと思う。あくまでも相談窓口設置の検討段階であって、相談窓口設置の準備をしているわけではないことをご理解いただきたい。相談窓口設置は喫緊の課題ではあると思うが、しかしこういうデリケートな問題は周到な準備が欠かせないものである。検討の詳細についてブログに書くことは差し控えたい。

それで検討の一つとしてそもそも聖書的に、神学的な検討を加えることが不可欠であるとの認識に立ち、ただ今その作業をしているところである。「そもそも論」をやっているところである。作業としてハラスメント対策の「神学そもそも論」がまず一つあり、それを提出する前に、メモ程度のことをここに書いて、読者の批判を浴びようというのがこのカテゴリーの企てである。ついでに読者の関心に応えようという意図もある。

なお、このカテゴリーはカルト問題対策委員会から派生したものであるけれども、まったく伊那谷牧師の個人的なものであって、委員会とは独立したブログ記事であることを念のため、申し上げておく。

神学論争なので辛らつなコメントを承りたい。わかった、わからない、などの率直な感想でも結構である。みなさんどしどしお寄せくださいませ。なお読者の中には、コメントではなくメールで言いたいという方もいるかもしれない。左下に私のメールアドレスを記載してあるのでそちらをご利用いただきたい。とりあえず「てにをは」はここまでとする。



ハラスメントが人権侵害であることは論を待たない。一般社会のハラスメント対策においては「ハラスメントは人権侵害である」と語られている。またキリスト教会のハラスメント対策においても同様である。現代においては一般社会においてもキリスト教会においても「人権」という概念は受容されていると言える。しかしながら、「教会において「人権」を根拠として語ることに対しては、慎重であるべきだ」との声も少なからず存在する。むろんそれは人権を否定しようという動機からではなく、「人権」という概念が無神論的ないしは世俗的ヒューマニズムの響きを感じ取るがゆえに、単純かつ無批判に「人権」を根拠とすることに対する慎重さの表れであると言えるだろう。人権について神学的考察を避けて「人権」概念を教会に導入することはできない。

まず、この点について、同盟教団人格尊厳問題委員会が教団内での先駆的働きをしてこられた。人格尊厳問題委員会の議論を援用したい。
次におそらく人権とキリスト教についてのかなりまとまった考察をしているW・フーバー、H・E・テート共著『人権の思想 法学的・哲学的・神学的考察』(河島幸夫訳、新教出版社、現代キリスト教倫理双書、1980年)から論じたい。その他、日本キリスト教改革派教会大会・世と教会に関する委員会『キリスト教と人権―改革派世界教会会議 人権に関する証言―』(聖恵授産所出版部、1992年)などを利用したい。

今日はとりあえずここまで。

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