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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [映画・動画]

2007年 日本映画
監督・製作:若松孝二
脚本:掛川正幸/出口出
音楽:ジム・オルーク
ストーリー:ベトナム戦争、パリの5月革命、中国文化大革命など、世界中が大きなうねりの中にいた1960年代。日本でも学生運動が熱を帯び、連合赤軍が結成された。革命戦士を志した坂口弘(ARATA)や永田洋子(並木愛枝)ら若者たちは、山岳ベースを設置し訓練をはじめる。厳しい訓練に追い詰められ、メンバーによる仲間同士の粛正が壮絶を極めていく。(シネマトゥデイより)


私の趣味と言えばTSUTAYAで100円で旧作DVDを借りて観ることである。旧作だから話題作でも観るのがだいぶ時間が経ってからである。いや別にTSUTAYAである必然性もないのだが近所で安く借りられるのがTSUTAYAだからという理由がその1。ついでに新書や雑誌をブラウズすることもできるというのが理由その2。学生時代にセブンイレブンに立ち寄ることが決め事だったように、定期的にTSUTAYAに行くことが今の自分の定例行事となっている。だからもしお前の趣味は何だと聞かれたら、映画鑑賞と答えずにDVDブラウズと答えることにしている。ところが実を言えばこのところ珍しく多忙感があり、ずっとDVDを借りて観ることがなかった。多忙感というのは便利な言葉だ。他人から見て客観的に多忙であるか否かは問題ではない。もとより多忙の客観的基準など存在しないのであるが。

それはともかくとして、最近ようやく「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を借りて観ることができた。内容は大学紛争事件、山岳ベース事件、あさま山荘事件の3部構成のドキュメンタリータッチの映画である。3時間10分という長時間の上に最初の三分の一が登場人物たちの軌跡を紹介するというスタイルがやや眠気を誘いたびたび巻き戻しては観ていた。しかし山岳ベース事件からは眠気も消え、画面に釘付けとなった。総括。森恒夫と永田洋子が組織内における権力欲・支配欲そして構成メンバーによる同調圧力、傍観的態度が組織内の支配従属関係を強化する。「お前のためだ」「頑張って総括してよ」偽善的な利他的発言により目前でいじめが起こっていることを自他共に受容することができない。両眼で見ているのに見えていない。誰もノーと言えないチキンレースである。後に浅間山荘において最年少メンバーの加藤元久が「勇気がなかったんだよ!」と叫ぶ。もちろんこれは脚色であるが、つまりそういうことである。そしてとうとう虐殺死に至る。志を同じくし理想に燃える同士であるにもかかわらず悲惨なリンチに至ったのは、志も形態もことなるけれどもカルト化やパワハラと相通じるところがあると言えよう。なお山岳ベース事件についてはwiki-山岳ベース事件を参照のこと。

水草師もブログで述べているように、権力の否定は平和ではない。権力の否定は別の歪んだ権力を生むだけである。フランス革命しかり、共産主義革命しかり、連合赤軍しかりである。政治闘争の現象ではなく、おそらくすべての組織集団において存在する可能性がある。特に凝集性の高い組織、また強い理念・信条・目標設定を掲げている集団において発生しやすい。その際、既存の権力が否定される。それに取って代わるような言説が集団内において語られる。やがて醜悪な権力構造が形成される。権力を否定するだけでは権力主義は防げない。しばしばキリスト者の中で「ナイーブな」平等が語られている印象がある。しかしナイーブな平等論や権力否定は、別の、より醜悪な、権力主義を発生する温床である。

山岳ベース事件(リンチ殺人事件)の首謀者である森恒夫も永田洋子も必ずしも権力欲の強い人間ではない。森恒夫は一度は逃亡した人間であり、映画の中でも決してふてぶてしい腹黒強欲野心家のようではまるでなく、どこか臆病と陰をもっており、そしてその内心を悟られまいとして、結果的にリンチに走っていった。むろん森恒夫一人では何もできるはずがなく、それよりも組織という集団圧力が森自身の言動をも拘束していったのである。永田洋子に関しては、どちらかと言えば映画の中では女の嫉妬のために仲間をリンチのターゲットにしていったという描かれ方であった。

この映画の中で唯一の欠点と言えば、永田の心理描写が画一的というか最後まで徹底的に表面的であることにこだわったということであろうか。若松孝二監督があさま山荘事件だけではなく、その道程として山岳ベース事件にかなり突っ込んだ編集をしていることからすれば、また加藤少年に「勇気がなかったんだよ」と言わせているところからすれば、やはりこの映画の見せ場はそこにあるだろうし、森恒夫と永田洋子が描かれるはずであろう。そして森恒夫に関しては映画の前半においてある程度そのことには描かれている。それだけに永田洋子がただ「女の嫉妬」だけでリンチをしているかのように描かれているのは残念である。とはいえ、そのことはこの映画の面白さを少しも低減させるものではない。カルト問題やパワハラに関心のある方でまだ見ていない方は是非この映画を観ることをお勧めする。

他人から見てその人の内面がどう映るかというのは、もとより難しいものであって、所詮は外から眺める者の印象でしかないといえばそれまでだが、しかしそれでも見られる者と見る者の文脈によっては内面を知ることができることもある。加藤少年が「勇気がなかったんだよ」と言ったのは(繰り返すがこれは脚色である)、彼があの異常なリンチの中にいたからである。どういうことかと言えば、もし加藤少年が自分にも「総括」要求の恐れが全くないのなら、彼の憎悪は森や永田に向けられたに違いない。しかし彼もまたいつ自分に「総括」要求がされるかという恐れがあった。そしてそれを跳ね除ける勇気がなかった。彼の恐れは森や永田ではなく、彼の同志たちにある。

余談だが、途中で森と永田と坂口弘だけで話し合う場面がある。そこでは3人とも肩の力を抜いて、話し合う。彼らは組織トップであるので、彼らは組織に睨みをきかせこそすれ彼らが構成員からの圧力におびえるということはないだろうと通常は思う。しかし組織トップである彼らこそが、構成員からの圧力におびえているのである。そして3人だけになったとき、いわば「しらふ」に戻ったのである。
加藤少年はもちろんその場面を知らないが、加藤少年が恐怖と憎悪を組織トップの森や永田にではなく構成員全員に向けられていたのはそういうことである。そしてそれはただ加害者であるばかりでなく被害者となっていく者たちに対しても同様である。

加藤少年が坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教に向かって「あんたも、あんたも、勇気がなかったんだよ」と言ったのは、そして坂口に向かって「坂口さん、あんたも勇気がなかったんだよ」と言ったのは、彼がその異常な文脈を共有していたがゆえに組織の同志たちの心理状態が見えたのである。
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